Entry

なんというか自由と守旧について

2011年11月06日

何度かこのサイトでも書いているので,聞き飽きてる方もいるんでしょうけれど,こちらを読ませていただいて。

だっていくら結婚できて就職できても、個人の場合、「2回会って結婚」とか「はい、キミはこの魚屋で働いてね」って感じで割り当てられた仕事に就くとか、つらいでしょ?

でも組織って「決められたとおりに、何も考えずに、過去行われていた通りにやっていたら利益がでました」みたいな自由度のない状況が、全然つらくないんですよね。むしろ心地よいのだと思います。何十年も同じことやってて、それで儲かるなら超ハッピー!なんです。

ここがまさに、個人と組織の大きな違いです。

自由のありがたみを感じる個人、感じない組織

まず,これはあたし個人の分類だから一般化できないところがあるんだけれども,自由であることは保守に対する革新とは異なるわけで,少なくとも論理的には,自由を標榜する保守派というのも考えられると思うんですね。

あともうひとつ。自由と一言で言っても,その中には多様な形式がありうるということ。典型的には,米国で明らかになったネオリベラリズムとオールドリベラリズムは,同じ「自由」を標榜しながら言っていることが全く異なる。同じ「自由」という土俵の中で,「自由は云々」と言っても始まらないところがある。

さらにもうひとつ。ネオリベの話と同じになってしまうけれども,特に社会制度との関係で,自由の目的語,つまり「何を」自由にできるのかをどう考えるかによって,自由に対する立ち位置も変わるということ。例えば,ちきりんさんの例を挙げるなら,「結婚できない人も結婚できる」社会では,結婚生活を営む自由を社会が保障していたことになる。一方,この制度を強化すると,「誰と結婚するか決める自由」は軽視される。

そもそも,普通にしてたら結婚できない人が存在するのは,普通にありえることだったりする。こゆ人たちをどうすればいいのか,結婚する自由を守るべきと主張して世話を焼くのも自由のひとつ,自由なんだから勝手にしてくださいと言ってほっぽっとくのも自由のひとつ。これは結婚のような個人の話なので,深刻さも人それぞれだけれども,例えば,女性の労働環境を改善するために,女性採用枠を増やす制度(affirmative action)は自由に貢献するものなのか,制度は手出ししない方が本来的な意味で自由なんじゃないか,とかいろいろ(これを考えるのは「何に対する自由なのか」を考える必要がある)。

結局,「自由」という政治的なプロパガンダから,具体的な制度は何も出てこないと思うわけです。みんな,自分がやりたいことを取り上げて,勝手に「自由」の美辞をくっつける。対抗する相手に対しては,守旧派とか不自由の方がいい主体とか名指すようになる。

引用の話に戻ると,組織が個人の自由を制約することは,すべての主体(個人・組織)にとって不自由な制度なのかというと,そういうわけではないと思うんですね。

組織にとっては,労働基本権!とか職業選択の自由!とか働き方を自分で決める自由!とか,ぐちゃぐちゃ言う社員が少ない方が,「自由に」思ったとおりの経営ができる。どちらも自由を標榜しているわけです。個人と組織の自由が対立する局面は,政府と国民の関係以外にもたくさんあります。しかし,どちらかの自由のみを強調する自由論は,結局どこまでいってもトートロジーに陥ってしまう。

件の話について考えると,景気がよかった頃は,守旧的な態度が個人の自由をむしろ促進していたけれども,景気が悪くなって,組織が個人の自由の面倒を見切れなくなると,個人にとっては足かせに過ぎない,と,単にそゆことなんじゃないだろうか。政治家の人は,しきり「変える」「変える」「変えることは良いことだ」と言っているけれども,つまるところは,自由をはさんで自分の手元に残しておこうとする覇権争いに過ぎないと考えています。

抽象的な話になってしまったので,少し具体例を挙げておきます。今時の例を挙げると,そろそろ企業年金が,確定給付型から確定拠出型に完全移行することになります。原資のの運用に結果を求めない制度に移行することで,企業は運用責任を負わなくなる。税金対策にもなるのかな。ま,ともあれ自由です。一方,個人にとっても,以下のように「自由」が強調されている。

「自分の年金」を「自分が選択」した分だけ拠出する(選択しないで全額給料として貰うことも可)方式である「選択制退職準備給付制度」が、より社員の自主性を尊重する仕組みです。「選択制退職準備給付制度」は、社員にとって大きなプラスとなりますので、社員にも容易に受け入れられます。

確定給付型退職金制度との比較 - 選択制退職準備給付制度

しかし,投資の素人が「自由ですよ」「自主的に頑張って退職金の原資を増やしてください」と言われて,現在の経済環境に放り出されたたところで,それは退職後の生活,ひいては生存の自由を保障するものなのだろうか。ここであたしの考えは書かないけれども,どのような立場の人間あるいは組織が,何に対してどのような側面から「自由」を唱えているのか,考えてみてもらいたい。

ま,ともかくそゆこと。ジユウッテムズカシイデスネ。

Trackback
Trackback URL:
Ads
About
Search This Site
Ads
Categories
Recent Entries
Log Archive
Syndicate This Site
Info.
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
Movable Type 3.36
Valid XHTML 1.1!
Valid CSS!
ブログタイムズ

© 2003-2012 AIAN