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ネットのオッサンはいろいろ諦めてるの話

2011年12月20日

こちらを読ませていただいて。

なんでこんなことを思うようになったかというと、数年前と比べると意見をガラリと変えるブログやソーシャルブックマーカーをチラホラ見るようになったからです。

20代中盤と比べると30代だと恐らく社内での立場が上昇していてそれまでなかった視点を持ったのだろうとか、「何故できないのか」というような問題の真相を垣間みたりして経験を積んだのかなと思った事例もあります。「以前よりも保守的な表現になったなぁ」と。

その一方で、「ネット上で声が大きい人」というのは、ある程度定着している感があり、「声の大きい人の平均年齢が徐々に上がってないか?」と思います。

Geekなぺーじ:上昇するネットモヒカン濃度

直接名指しされたことはない(と思う)けれど,あたしもいわゆるモヒカン的な位置付けにされていたところがあるので(今もされてるかもしれないが),なんつか,微妙な気持ちになってしまいました。また,このブログで書いてることが以前と比べると保守的な傾向にあることも,自分で認めていることだったりする。ま,こんなところで,クリリン的な内省をしても仕方ないんだけれども,そのことでつらつら。

自己弁護するわけではないけれども,特にソフトウェアに関して論調が変わってきているのは,引用で指摘されている通り,まずもってこれが飯の種として定着しているから,とゆのが大きい気がしています。趣味や遊びなら時間もお金も(あるだけ)かけられるけれども,職業でプログラムを設計したり書いたりしている人は,かなり大きな制限の下で日々の業務をこなしていたりする。時間は自分の給料との折り合いになるし,できるものの良し悪しは自分ではなくお金を払うお客さんが評価する。

あたしは,それでもある程度社内で自由にプログラムを作らせてもらってるし(他の人からは,論文読んだり画像をこねくり回したりして変なことしてる人に見えてるだろうが),趣味でもプログラムを書いているので,このブログで工数的な制限をあまり表に出すことはないと思っています。けれども,納期の厳しい現場では,かなり時間や費用に敏感だったりする。そして,プロではそゆ視点が非常に大切になる。その視点が入ったのが,まず一点。

もう一点は,なんというか,ネットに対する「諦め」みたいなもんがある。

引用では,ネットが高齢化しているというけれども,個人的な印象では,ネットはむしろ若年化している印象があります。特に,ソフトウェアに関する話題のボリュームゾーンは入門的な話題にあって,主に若年層が利用している感がある。一方,ある程度プログラムを書けるようになっている人は,ネットのブログ記事からは離れている気がしています。現に,知っている開発者さんは,プログラムに関することで他のブログ記事を読むことがほとんどなくなってしまった。直接リファレンスやソース,それなりに権威のある書籍を読んだ方が手っ取り早いからです。彼は,自分で発信することもしなくなってしまった。

一方,ネットにある情報は,既存の資源の焼き直しがほとんどで,若年層(学生)のメモ書き程度だったりする。あるアルゴリズム(例えば SVM)について,C と C++ と Python と Perl と Ruby くらいで,5種類のエントリのバリエーションができるけど,開発言語を除けば同じことが書いてある。「SVM を Lisp で書いてみたよ!」的な話は,喜ぶ人もいるんだろうけど,個人的には何も面白くない。これはソフトウェアに限らず,思想界隈もそうで,近頃は思想的な話になると,文脈を全く無視したアレントやデリダの引用ばかりになってしまった。それでもう飽き飽き。

こういう飽き飽き感を言葉にすると,やはり保守的になってしまうのだと思う。Lisp で書かれた SVM のコードは,見る人が見たら新しくて鮮烈に見えるのだろうけれども,個人的には「いつか来た道」にしか見えない。あえてその意義を見出そうと試みるけれど,何に役立つのか分からない。そゆもんが,馬の糞のように道端のあちこちに落ちているのが,今のネットの風景なんでねいかな,と。こゆことを書くと,年とって感受性が低くなったと評価されるかもしれない。

また,ネットの文化圏そのものが変わっている気もする。

大それたことを持ち出すわけではないけれど,ネットにおける「知」のあり方を考えると,これはそもそも多様な人たちが多様な意見をつき合わせる場所だったのではないかと思います。しかし,場は提供されてもその担い手は自信がないらしく,ひとつに固まる傾向がある。「今起きた」とか「渋谷なう」とか,他人との当たり障りのない共通項を探すのに必死になってるように見える。違いを楽しむ(もっと言えば,「モヒカン」のように違いをパロディにする)のではなく,同じであることに安住しているように見える。

文化圏の違いだから,クネクネと安住している人のケツをひっぱたくつもりはありません。そういう場から指差されて,こちらから指を差し返すとすぐヒヨるのには勘弁して欲しいけれども,ただただ,ネットはそゆ空間になってしまったのだと,ここ数年感じています。

ここ数年は,自分がネット上でどのように立ち振る舞えばいいのか,やや困惑していたところがあるのだけれども,もうマイペースで書くしかないな,と思っていたりします。そこにもいろいろな諦めがあるわけですけど。

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