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ウォーターフォールは日本の伝統でもないしプロジェクトのボトルネックでも(通常は)ないという話

2012年01月03日

あけましておめでとうございます。新年のご挨拶ついでに,正月休みで考えていたこととかつらつら。

某所で,日本伝統のウォーターフォールモデルが複雑なシステム開発のボトルネックになっている,とかいった話があったんだけれども,いかにも SIer さんらしい考え方だなぁ,と思ってしまいました(某所の某氏はもう SIer さんじゃないらしいけれど)。お客さんがいるソフトウェア開発において,要求を実装に落とし込む手法として,ウォーターフォールモデルは論理的に整合性が取れている手法のひとつだと,あたしは考えています。

現在のソフトウェア開発においては,よっぽど自転車操業でやってるとこやお客さんのいない開発でもない限り,ウォーターフォールモデルは一般的な手法として採用されています。そして,これは強調しておきたいのだけれども,失敗したプロジェクトがウォーターフォールモデルでドライブされているのと同様に,問題なく終息している大多数のプロジェクトもウォーターフォールモデルで見積もられ,作られているということです。失敗したプロジェクトがウォーターフォールモデルで作られていることは,必ずしも失敗の原因とはならない。

日本のプロジェクトがウォーターフォールモデルとの関係で批判されるとするなら,以前も書いた通り,官僚主義に基づく仕様書を中心とした書面中心主義とウォーターフォールモデルが融合しているところにあるのだと思う。この書面は,開発に必要な仕様を事細かに記述するためではなく,契約上の逃げ口と複雑な問題を二次請け・三次請けに丸投げするためだけにある。開発の役に何も立たないこうした書面を「要求仕様書」とか「設計書」とか呼んでピンはねしている SIer はあちこちにある。

もうひとつ挙げるなら,こうした SIer には,そもそもソフトウェアひいてはシステムを開発するだけの技術力がない点も挙げられる。社内の技術力は空洞化し,ただの御用聞きになっている。んなもんだから,技術的なあれこれを踏まえた要求仕様や設計書なんてそもそも書けっこないし,コストだって見積もれない。

繰り返すけれども,多くの成功しているプロジェクトでは,ウォーターフォールがしっかり回っているし,これは日本独自の手法でもありません。外国でも普通にやっている。問題は,それが日本的な官僚仕事(あるいはゼネコン仕事)に組み入れられた形で解釈されている点。この点が,不幸の始まりだと思うわけです。

一方,最近は,アジャイルだのなんだのといった開発モデルも提案されているけれども,ウェブサービスのように具体的なお客さんがいないようなプロジェクトや,小規模なプロジェクトでもない限りまだ安定した手法として認知されてはいません。目的や運用(予算の取り方)も異なる開発モデルなので,一概にウォーターフォールと比較することに,あたしゃ懐疑的です。

なんつか,年末に「上流ができます!」とかいったスカウトをゴリゴリともらったんだけれども,あまりにも同じコピーが続くのにドン引きしてしまったので書いてみた。何の餌にもなっていないのが分かってないみたい。

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