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新しいもののどこが本当に新しいか見る目がない開発者は終わってる

2012年04月25日

先日,開発者間の某飲み会で少し vi ネタがあったんだけれども,ネタ含みでこんな話が出てたのでした。

vi なんて古いツールなんか使えなくてもな,時代はどんどん進んでるんだよ。いいもがもどんどん出てくるんだよ。そんなもんいまだに使ってんのは,時代に取り残された人なんだよ。

ま,ネタなので……。言ってる本人が本気でないことは分かってるんだけれども,そういえばネットではそういう話もよく聞くなぁ,とかつらつら。

こゆ話には,三つ芳しくないところがあって,結局こんなこと本気で考えてるのは開発者としてダメだろう,とか思うわけです。

ひとつは,「新しいもの == 良いもの」とあまりにも直截に結び付けてしまうところ。ほとんど宗教的といっていいほど,「新しいもの」と「良いもの」は無条件に等号で結ばれている。こゆ1960年代的で進歩主義的なドグマが,いまだにどこから植えつけられているのか,よく分からないんだけれども,いずれにしても終わってる。こゆのは,大概技術外の触れ込みを鵜呑みにしているケースがほとんどなんだけれども,技術者として技術的な吟味を怠ることは自殺行為だと思う。「生き残ってるもの == 良いもの」という見方もあるわけなんだが。

もうひとつは,「時代に取り残されている」のは誰なのかという話。あたしからすると,彼らは時代に翻弄されているようにしか見えない。ちょっと声の大きな人が,「これからは○○テクノロジーだ!」とかいうだけで,簡単に鞍替えしてしまう。ま,それはそれでいいんだけれども,声の大きな人にとっては,これほど従順なお客さんもいない。技術者の皮をかぶったいい金づるです。そゆ掛け声だけの技術で失敗してきたのが,この界隈じゃなかったのか。

さらにひとつ。彼らは新しいものを語る資格があるのかということ。直近の技術を「新しいもの」として語るためには,古いものがどうだったか知っている必要があるわけだけれども,こゆことを口にしている人の多くは,古いものについてほとんどまったく知らない。最近出てるものが新しいもの,そしてそれを使っている私は最先端,みたいな自意識でいるみたい。しかし,こゆのは技術的・歴史的にその技術を吟味することについて横着しているように見えるし,何よりアホっぽい。自分では何もしてないくせに,その最新技術を使ってるというだけで,最先端な人になれてしまうというアホっぽさ。おめでたいにも程がある。

なんつか,このサイトの某エントリに付いたつぶやきを見ていてちょっと思っただけ。名指ししたいけどやめときます。そんだけ。

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