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プログラム作るときの想像力とか

2012年06月15日

先日の話(参照:qune: なぜ仕事で静的型付き言語が使われてるのかまで想像力が及ぶようになるのはいつだろうか)出てきた某氏が引き続きいぢられてるのを見て,ちょっと悪い気がしてきた。本人がイタいとかイタくないとかはともかく。

なんというか,毎年のように会社で若い子の面倒を見ていて,そゆ子にも見られる傾向なんだけれども,彼らは開発言語なりプログラミングなりが,自己目的的になっているところがあったりします。プログラミングは,通常手段であって目的ではない。営利企業でプログラムを作るなら,その目的は営利企業の目的に沿ったものになるし,なにかの信条をもってするなら(GNU とか),その目的に沿ってプログラムを作るわけです。あたりまえなんだけれども。ま,自分にも覚えがあるから,最近の子に特有の話ではないと思うんだけれども,プログラムそのものを組むのに一杯一杯だと,それが自己目的化するのもしょうがないのかなぁ,とも思う。

大体,「目的を持って書け」といっても,よほど世間をよく知っている人でもない限り,若い子に目的を設定させることは難しい。プログラム関係の掲示板なりフォーラムなりで,二言目にはみんな口をを揃えて「ゲームを作りたい」とか言うわけだけれども,身の回りには,わんさかとソフトウェアに対する潜在的/顕在的需要がある。それにもかかわらず,そこに目が向かない。自分が知っていることの範囲でしか,人は想像力を働かせることはできないから,それは仕方ないのかもしれない。

詳しいことは書けないけれども,先日,仕事でとある画像を自動照合するプログラムを書いたのでした(法律関係の分野だけれども)。そこでは,ある画像をデータベースに登録するんだけれども,同じ画像を登録しちゃいけないのでした。いままでは,人が目視で判断していたんだけれども,登録数が増えて今の人員で目視で照合するのは,物理的に不可能になってきた,とゆ話。こちらは,ちょうど別件でかなり精度のいい照合器を開発していたので,そいつを叩き台にして持ってったのでした。助かってるそうです。

こゆ需要というか目的は,なんつか世間とそれなりに交わっていないと,そもそもアンテナにひっかからない。外に出なくても分かるネット上の情報では,ゲームはもちろんインターネット技術や顔認識/文字認識のようなベタなネタがあるんだけれども,プログラムの目的になる需要は他にもあちこちにある(そしてそれはネットに載らない)。潜在需要のようなもんは,視野を広く持って,そもそも世間がどのように回っているのか,ある程度理解していないと,応用プログラム(application)といえるだけの応用が適わなかったりする。

しかし,なんつか,冒頭のような発言にはかかわらない方がいいなと思った。自己完結してしまっているようだし,こちらで何を言ってもむなしくなるだけだと思う。気付けなかったのには,ちとまずったと思った。

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