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選挙も近くにありそうだから弁論術の話とか

2012年07月15日

近々選挙もありそうなので,ひとつとある弁論術の話とか。

久しぶりに書店を覗いたところ,とんずらこいた無責任な元横浜市長の書籍の帯にこんな文句がありました。こゆのが典型。

あなたはどちらを選ぶ!?無愛想で有能な政治家か、愛想のいい無能な政治家か

あまりにも典型的すぎて笑ってしまったんだけれども,実際こゆ論法を使う政治家は少なくない。松下政経塾系に多い気がするんだけれども,どうなんだろ。こんなことばっか練習してるのか。

上の例は要するに,勝手に問題のフレームワークを設定してしまう論法です。オウムの議論の頃からこゆのはあったし,今では橋本知事も使ってる。つまり,世の中には無愛想で有能な政治家と愛想のいい無能な政治家の二種類しかいないという前提(フレーム)を勝手に設定した上で二者択一を迫るわけ。有権者からすれば,「愛想がよくて親しまれる有能な政治家」がいいに決まってる。しかし,この問いでは,そうした人は前提としていないことになっている。

また,政治家の能力について,明確な説明もしていない。利益調整を生業のひとつにしている政治家にとって,「愛想のよさ」はひとつの能力だと(言おうと思えば)言えるわけだけれども,それは政治家の能力の外側にあるものとしている。それでは,彼にとって「政治家の能力」とはなんなのか。一番肝心なところを隠して,決定不能な究極の質問を投げる。ほとんど詐欺や強迫に近いと個人的には思います。

同様に,消費税の議論にしても,「将来の子どもに負担を強いて現在あなたが楽をするのと,将来の子どものために現在耐えるののどちらにしますか?」と聞く。そんなもん,将来の子どもも現在の自分も楽をするのがいいに決まってる。それができない無能な政治家や役人に高い歳費や給料を払ういわれはない,と個人的には思う。せめて少なくとも,できないならできないなりの理由を示すべきだし,また,仮に現在を耐えることで将来の子どもの生活が良くなるならその根拠を示すべきだろう。勝手に決定不能な問いのフレームワークを作った側には,議論の筋として,そのフレームワーク自体の正当性について立証する責任があると思うのだけれども,どうなのだろう。

こうした二者択一の問題には,答えがはじめから先回りして用意されている。必ず片方を選ぶように問題自体が設定されている。うまいことやるもんだと思うけれども,反面,小手先だけでやってる感じはみんな見透かしていたりもする。「なんかうまく言えないけれど胡散臭いヤツ」ってな具合に。

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